激動のフィナーレ(サッカー版)
筆者は今国際学生リーダーシップシンポジウム(USLシンポジウム)に参加するためバンコクに向かっている。
www.youtube.com日本人で参加される方がいれば、是非現地でお会いしましょう!
上海頂上決戦!!
先日、サッカーのMBAリーグの決勝戦が行われた。
正確に言うと、MBAリーグはリーグ戦のため総当り戦なのだが、最終戦は全勝対決となったため、事実上の決勝戦となった。
われわれCEIBSは途中プレイヤーの配置転換(筆者のディフェンス戦力外通告→ゴールキーパーへの配置転換含む)などを経て全勝をキープしていた。
対戦相手は、上海交通大学。
実は予選で上海交通大学を撃破していたのだが、上海交通大学は普通のMBAのチームと、決勝であたったFMBA(Finance MBA)のチームと2チームが参加していたのだった。
ともかくこの日に向けてやる気満々のCEIBSチーム。皆勢いを感じており、当日の勝利を確信していた。
優勝の前祝いのために、ザリガニを食べにいき、盛り上がるCEIBSチーム。
(いつも白酒でドリンクゲームをするため大部分が死亡する(翌日の授業欠席者多数))
決戦の日
そんなこんなで試合当日がやってきた。
MBAリーグは開始時間いつも遅く大体21時くらいにキックオフである。
会場に到着すると、どうも様子がおかしい。
相手チームの人数がめちゃくちゃ多い。50人くらいいるんちゃうか。。
20人位のチームのはずなのに。。。
ここでドイツ人のキャプテンから衝撃の情報がチームメイトに伝わる。
上海交通大学は、もう一つの上海交通大学チームのみならず、今まで対戦した全てのチームから、上手いプレイヤーをたくさんリクルーティングして、今日の試合に招集して、最強チームを作ってきたらしい。
。。。そんなんありかい!!
ここで我々のスタメン(国籍)紹介。
実は我々も今回は、一つ上の代からとても優秀な中国人DFを数名招集していたため若干中国人比率が高くなっていた。
しかし実はこれが後々仇となる。
ちなみに筆者は安定のゴールキーパーでの出場である。
最終戦ということでたくさんの同級生が応援に駆けつけてくれて盛り上がっている中で
試合開始!
中盤を支配するCEIBSイレブン。
一方最強メンバーを揃えたきた相手チームの戦略は、何と、ともかくロングボールをゴールキーパとDFの間くらいに放って、こちらのDF陣のクリアミスを狙うというシンプル且つ草サッカーにありがちな戦術。
そんなにたくさん上手いメンバー揃える必要あったんかな。。。
しかしこの相手チームの戦略が、じわじわと効いてくる。一個上の代から緊急招集した中国人DF達と初めてのプレーのため、みななかなかコミュニケーションがとれずに、何度も危ない場面を迎える。
ともかくすったもんだあり、白熱の展開が続き終わってみると
0−3でCEIBSチームの完敗!!
茫然自失のCEIBSイレブン。
ともかくこうして、筆者のサッカージャーニーは幕を閉じた。
その後、副キャプテンの中国人同級生の提案で、打ち上げに行こうと、いうことで行ってみると、、、
サプライズで、決勝を戦った上海交通大学の皆さんとの合同の飲み会がセッティングされていた。しかも今までのCEIBSサッカー部発足からの感動むーびー付き。
しかしながら負けてテンションガタ落ち+夜遅い+シャワー浴びずに飲み会+決勝で負けている状態だったので多くの選手が試合に出れず
ということで基本的に試合に出ている面々しか集まらず。
何とも言えない雰囲気の中、準優勝カップでビールを一気飲みするキャプテン(ドイツ人)
お酒を入れるスペースは日本酒のおちょこくらいのサイズである。
総評
小生のサッカージャーニーの感想を言うと、
本当にけがをしなくて良かった!
これに尽きる。
なぜなら、実はこのサッカー部の活動期間中に5人が重度のけがを負った、また他のクラブでもかなりの数の同級生が大きなけがをしている。
コンサルティングプロジェクトの我々のチームのリーダーも実は、バスケットボールの活動中に重度のけがをして、手術までしたのである。
↓こんな感じになる
なぜこんなことが起こるのか、それは我々が運動不足のおっさんだからである。
学生に戻ったということでみんなはしゃいで全盛期のイメージで運動をするが、
受験でなまりになまり、CEIBSに入ってからもなかなか運動する機会もなく
ゆって平均年齢30歳の団体である。
筆者がけがをしなかったのはラッキーという他ない。
いやーラッキーでした。
ドラゴンボートフェスティバルで戦力外
中国には毎年5月下旬の祝日で中国各地でドラゴンボートの大会がおこなわれることをご存知だろうか。
<ドラゴンボートとは?!(以下日本ドラゴンボート協会HPより引用>
ドラゴンボート(龍舟)とは、古代中国で生まれた世界最古の手漕ぎ舟の競漕であると言われています。
古代中国の春秋戦国時代、楚の国に屈原(くつげん)という詩人であり政治家がおりました。屈原は秦の謀略から国を守るべく努力しましたが、自国内の権力抗争に敗れ国を追放されてしまいました。その結果、楚の国は秦に支配されてしまいます。国の将来を憂いた屈原は、湖南省の汨羅(べきら)の淵に石を抱いて入水自殺をしました。これを知った近くの漁民たちは、屈原の身を案じ、淵に潜む竜や魚に襲われないようにドラや太鼓を打ち鳴らして探し回りました。以来、屈原が入水した旧暦5月5日にその霊を祭る為の小舟レース大会が各地で行われるようになったといいます。時は紀元前278年だったとか。
又、汨羅の淵に入水した屈原の身を案じた漁民達が、「ちまき」で竜や魚の気を引いて屈原の身を守ろうとしたという説もあり、5月5日の命日にはちまきを食べるようになったとも言われています。
ドラゴンボートの歴史 - 一般社団法人 日本ドラゴンボート協会
イメージはこんな感じ↓
ということで、CEIBSも大学対抗の大会に参戦した。
今回CEIBSのボートの指揮を取るのは、エクササイズクラブ(?)の部長の中国人男子。彼は、恐らく同期の中では最年少に近いと思うのだが、抜群のリーダーシップを発揮して、数々のイベントを聞きつけては、CEIBSからチームを組んで参加しようと呼びかけて、盛り上げてくれる。
練習風景
今回20人乗りのボートで200mを競う大会に出場するということで、綱引き大会の功績が認められ、メンバーに呼んでもらえた。
しかしながら、小生はあろうことか3回の練習全て、授業と被り参加出来ないという事態に見舞われた。
練習の際は、CEIBS近くの川に実際に使用するサイズのでかいボートを運び込み、200mの実際さながらの練習を行った。
ちなみにボートの上に太鼓が設置されており、皆がリズムをつかむのに使われる。
川の使用料とボートのレンタル料等々かなりの額になっているはずである。本当に頭が下がる。
まあ筆者は一度も参加していないのだが。。
(以下練習の様子)
(↓CEIBSから一番近い川(?)、普段はボート等は全く設置されていない。あくまでCEIBSの練習用に特別に許可をとって、ボートも勝手に持ち込んでの練習)
(↓実は近くは日本人街)
(↓ボート上からの撮影)
(↓練習後の風景、繰り返すが筆者は参加していない)
大会当日
ということで大会の当日も、参加しようか正直迷っていたところ、指揮をとっている中国人男子から、当日は来るよな!?と声をかけられ、ついつい行く行く!!と即答してしまった。
しかしながら、遠くまで行って一日潰れるイベントに(一度も練習に参加していないこともあり)全く乗り気になれず、当日ドタキャンも視野に入れていたところ、当日の朝予想通り、他のメンバーのドタキャンが相次いで発声!!
これはヒーローになれるチャンス!ということで、参加した。
当日の朝7時頃に集合場所に集合したところ、数名しか集合しておらず、とりあえず皆で会場へ。
会場はCEIBSから車で1時間半程かかる海沿いの大学が会場。
ちなみにこちらは今回我々のチームのロゴ
会場についてから、午前中が練習時間で、本戦は2時頃スタートということを知る筆者。つまり、ずる賢い(?)同級生達は練習はパスして本戦からちゃっかり参加しようという魂胆である。
しまった自分もゆっくり寝て、二時から参加すれば良かった。。。
という後悔が一瞬よぎったが、そもそも一度も練習していないので、そんなことを言う資格はない。
会場に到着すると、多くのチームが既に熱心に練習に取り組んでいた。
中には外国人中心のチームも。
しかし我々も負けじと多国籍軍である。
そしていざ練習をしようと準備を始めたところ、14人以上揃ってないと練習はさせられないというルールが判明。
8人位しか揃っていないCEIBSチームは、已む無く、大会の雰囲気を楽しみ、カフェテリアでかき氷を食べたりしながら結局本戦の2時が始まるまでテキトウに時間を潰していたのである。
戦力外通告
本戦が始まり、リーダーの中国人が色々戦略について話し始めると、筆者について一言、
「ごめん練習に一度も参加してないから乗せられないやm(_ _)m」
筆者のドラゴンボートフェスティバルは、その瞬間終了した。。
ここから応援側に回ったため、日頃室内で全く日差しを浴びていないので、目的を日焼けに変更し、極力肌を露出して、皆を応援することにした。
開会式の後、予選があり、20チーム中上位4チームのみが決勝に進出し、戦うシステムである。
早く帰りたい気持ちを抑えて皆を応援することに。
(開会式の様子)
(初戦に向かうCEIBSチーム)
CEIBSは何と予選のタイムが全体の2位と大変良い位置につける。
早く帰る夢は絶たれる。
(勝利後のチーム)
謎の景品ゲット
勢いづくCEIBSの面々。
こうなったらとにかく日焼けをしたい筆者。
そんな中決勝がスタート。
。。。結局3位でフィニッシュ!
歓喜にわくCEIBSチーム(一応including筆者)
そして最後に開会式で、全員(筆者含む)豪華景品がプレゼントされた!
それがこちら!
このかなり大きい立派な箱に入ったアベンジャーズの物体。
なんだかわかるだろうか。この時点でわかった方は相当感が鋭い。
箱をあけてみると。。
全然わからない!
更に箱をあけると!
輝いている!!
なにこれ?!以前全然わからず手にとってみると。。。
何と携帯の充電池であった。
中国では、現金を持ち運ばずに全てスマホで決済をするので、殆どの人がバッテリーを携帯しており、日本よりも予備バッテリーの携帯率は大分高いと思う。
この日は一日潰して、ボートに一度も乗ること無く
この立派な景品+日焼け+みんなとの思い出(少なくとも優勝の歓喜の輪の中に入って写真を取ることには成功)
という収穫であった。やっぱりボートは漕ぎたかったというのが率直な感想である。
一生付き合える英語カウンセラーのすすめ
前回のCEIBS採用活動の裏側の補足
前回の記事を見直して、GMATの点数(及びお菓子の差し入れ)だけにフォーカスしてしまい、ポイントがズレてしまったと感じたため、訂正とお詫び申し上げたい。
前回の記事を読むと日本人であればGMATの点数が600点代そこそこあれば、無条件で受かるような書きぶりをしてしまったが、正しくは、GMATはもちろん合格にあたっての必要条件で、最も大切なのはもちろん面接である。
GMATは足切りで、面接点の点数の比重が最も高い。
ちなみにアドミッション・オフィスと話をしていると、エッセイや推薦状もかなり熟読している。すごいテキトウに書いた筆者のエッセイの内容をアドミッションが入学後に覚えていたりして焦ったこともある。
GMATの点数が700点以上ある人でも当然落ちている人はいるので、しっかりと面接対策を中心にエッセイ・推薦状を仕上げる必要がある。
それにプラスで前回紹介したお菓子作戦を是非実践して頂けたらと思います。
今なお、とてもお世話になっているカウンセラー
MBA受験を通じて、たくさんのカウンセラーや、GMAT、TOEFLのインストラクターに出会う。しかしながら、MBA受験後も引き続きお世話になるようなカウンセラーと出会うことは滅多にないのではないだろうか。
基本的に時給むっちゃ高くて死ぬほどお金がかかるので、出来ることなら早くカウンセラー達と早くおさらばしたいと思っている受験生の方も多いと思う。
しかし出来ることなら、今までの人生を見直して、本音で語りあってギリギリの状態を共にしたカウンセラーとは一生付き合っていけたら最高ではないだろうか。
小生はたまたまたラッキーで、そんなカウンセラーに出会い、今も大変お世話になっている。Laurenさんである。
Contact Lauren (New Clients) - MBA Essay Editor
以前紹介した通り、彼女は沖縄在住のカウンセラーである。
そして彼女は小生の死ぬまでの英語に関する全てカウンセラー、アドバイザーである(と勝手に思っている)。
MBAの中で、本当に多くのアウトプットを英語でするのだが、じっくり自分の英語を読み返したり、この単語よりはあっちの単語の方が良いなとか、一つ一つ丁寧に考えていく作業を小生は恥ずかしながら最初の半年は全くできていなかった。
最初の半年は、レポートを書いたらざっと見直してスペル間違いを直して、すぐに提出して次のレポートやプレゼンの準備に取り掛かる。そんな毎日だったのだが、ある時、Term3が始まってふと過去のレポート等を見返してみると、想像以上に自分の幼稚な英語のライティングが目についた。また、色々コメントをくれる教授の場合は、よくよくそのコメントを読むと、自分の拙いライティングのために点数を落としているケースもかなり多くあることに気が付いた。
一方で、しっかりと時間をかけたレポートや、Laurenさんに見てもらったらレポート(最初の半年で一つだけしっかり見てもらった)は、それ以外の提出物に比べて、2ランク位高い評価を得ていることに気が付いた。
それ以降出来る限り、時間がある時や、重要な提出物等はLaurenさんにみてもらうようにした。学校での成績が向上するだけでなく、自分のやりがちなミスや、最適な言い回しもLaurenさんの添削のお陰で知ることが出来るようになった。
実際、MBA期間中にこのように自分の英文を正してもらうような機会はそう多くない。そのためこのようなカウンセラーの方は大変有り難い。
Laurenさんは、MBAのみならず、英語を使う全てのビジネスマンの役に立ちたいと考えていらっしゃる。
MBA受験期間中に、受験生からガッツリ高時給で稼いで、合格したらそれでおしまいという多くのカウンセラーとは異なり、Laurenさんは良心的な料金で、一人一人と長く付き合いという考え方のようである。このようなカウンセラーの方には筆者は他には出会わなかった。
Being、Having一発切りといったGMATの小手先の技術は、MBAが始まってから一切役にたっていないが、頼れるカウンセラーと出会えたことは、筆者の一生続く英語の勉強において本当にとても心強い。