なぜCEIBSの学生は留年するのか?
Mobike(モバイク)はどうせ中国だけでしか成り立たないビジネスでしょ、
どこでもチャリンコ乗り捨てなんて中国しか出来ないよ。
そう思ってるあなた、Mobikeは本気で世界を狙ってる。
既にシンガポールには進出していて、環境問題で悩む、交通渋滞で悩む
全ての国、土地の問題をMobikeのビジネスを通じて解決するつもりでいる。
ここ最近、半年くらい中国に来ていない人は是非来て、以前来た中国との違いを、感じてほしい。
すぐに半年前には全く見なかった、たくさんの人がオレンジのチャリで移動する姿が目にとまるはずで、Mobikeの中国社会への溶け込み具合に驚くはずである
気軽に留年する同級生達
最近同級生と話をしていると、留年して1年間卒業を遅らせる予定、という同級生にチラホラ会う。
1年ならともかく2年以上遅らせるかもしれないという者までいる。
もちろん中にはアカデミックな問題で、成績上ストレートで卒業できないという者もいるが(普通に真面目に勉強していれば留年することはない)、
彼らが留年する理由、それは
起業する(した)からである。
起業と留年に何の関係があるのか?
実は、彼らはMBA在学中に起業して、留年して卒業を遅らせることで、自分のジョブマーケットにおけるバリューに保険をかけている。
どういうことかというと、まず日本の新卒採用を思い浮かべて欲しい。
学生は基本的には大学卒業して、間を置かずにすぐに会社に入学する。なぜかといえば、新卒はある種就職するにあたって強力なカードで、新卒特権を失わないために、思い通りの就職先に決まらなかった場合に、一年留年して再度新卒特権を利用して就活をする人もいるくらいである。それくらい新卒特権は今の日本では強力なのだろう。
実は同じことがMBAにも言える。特に会社採用の要項には書いていないが、
MBA卒後すぐに入社出来る人を対象にした、採用活動をする会社が一定数いる。
いわばMBA新卒カードのようなものが、ここにも存在して、
起業する同級生は、万が一起業が失敗した時に、事業を畳んで、MBA新卒特権を利用して、起業ではなく普通の会社に就職しようとしているのである。
CEIBSの同級生の多くは起業する
元々中国では多くの人が起業する、その中でも選りすぐりの、野望を抱えた中国人がCEIBSに入学するわけだから、かなり多くのCEIBSの同級生は起業をする、もしくはしている。
更に、彼らの野望をプッシュするエコシステムがCEIBSにはある。
eLabである。
eLabはCEIBSがCEIBS発のベンチャー、起業を後押しするために
アイデア作りから、資金集め、リクルーティングまで起業に必要なもの全てをサポートする、起業家にとっては神のようなプラットホームなのである。
このサポートを受けて多くの同級生が起業をする。
実際もう一人の日本人同級生はこのサポートを受けてこの夏に起業する。
ちなみに先週土曜日は、起業家の同級生(彼女は中国生まれのアメリカ人で、 ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー等名だたる外資系銀行の投資銀行部門を渡り歩いた後に、起業するためにCEIBSにやってきた)が新たに始めたバーのオープニングパーティに行ってきた。
今後CEIBS生のたまり場となることは確実である。
中国一の朝日を見に華山へ(西安Part 3)
先日もう一人の日本人の誕生日があって、例のごとく皆wechatでコメントをコピペして
祝福していた。
そこで悪知恵が働いた筆者は
「これ日本語でおめでとうって投稿しても、皆わけも分からずにコピペするのか?」
と実験したくなり、
結果
案の定、以降全員日本語のひらがなコピペ!!
絶対意味わかってない!
西安トリップ3日目&4日目
西安トリップ3日目&4日目は一大イベントが控えていた、
それは中国五大名山の一つ華山に登り、朝日を見るというものだった。
華山はちなみに(昔)とても危険な山として有名である↓
3日目は起きて、周辺を食べ歩きして、ホテルに戻り3時間程登山にむけて仮眠、
夜7時頃、再び集結して、腹ごしらえをした。
この時食べた鍋料理(酸汤面とメモに書いてあるが定かではない)は激ウマだった。
とりあえず今まで食べた鍋料理の中で最大の鍋だったことは間違いない。
後日店と料理名を追記したい。
そしてもちろん登山の前途を祝して百酒で乾杯。
午後11時半頃、登山開始。
ちなみにここまでの道のりでたくさん、水やら食料やら買う場所があって、これより先は食料を買う場所はないと言われるが、
完全に嘘で、登山の途中にたくさん食料を買う場所があるので
この時点では荷物を減らすために、水などは最小限で良いと思う。
準備が悪く、何とビニール袋を持って登山開始↑
登山をなめている。
途中はとても狭くなっている。
朝日を見るために登山をする登山者が多く、夜中でもたくさんの人達とすれ違う。
そんなこんなで4時間弱くらいで、我々のターゲットとしていた場所に到着(後で知ったがここは山頂ではなかったらしい)
休憩所を探すと
思い思いの形で休む登山者達↑ ものすごい光景である。今までの死闘が想像できる。
我々はテントを借りて仮眠することにした。
一見風情のあるこのテント。
しかし寒すぎて寝れたもんではない。
このテントの中に2時間程いたが、皆風邪を引いてしまった。
それでも夜明けが近づくと幻想的な風景。
カモン朝日!!!
結論から言うと天気が悪かったため、朝日を見ることができなかった。
このリスクがあるので、朝日を見に登山する際は注意して欲しい。
朝日みれなかったし、寒くて風邪引いたしこのテンションで下山するのか最悪だわと思ったら。
何と目の前にロープウェイが!!!
夜に登山をしていたため全く気づかなかった。
結局下山はこのロープウェイを使って15分で終了。
下山して、ホテルで着替えて、登山しなかったメンバーと合流。
残りのメンバーはこの事態を予測して登山していなかったのだ。賢い。
辛い鍋を食べてこのMBA的な旅は解散となった。
得たもの
小生がこの旅で得た最も大きな物、それは
中国語に対する危機感とモチベーション
である。
この旅の最中は全て中国語である。
小生の他のもう一人の外国人(韓国人)は北京大卒、中国語歴10年以上につき、ペラペラである。
従って、彼と比較されたこともあり、中国語もっと頑張れ、と何度も面と向かって言われた。
そして大変悔しかった。
ただ同時にとてもありがたかった。
なぜなら彼らは心を許した相手や、見込みのある相手にしか、わざわざそのような指摘を面と向かってすることはないからである。
この旅をきっかけに、中国語に対する学習の取り組み方を見直し、大幅に変えたが、
それは大して面白くないので割愛する。
ともかく、当面の目標は、
日常会話の中で、中国語で常に笑いを取る
これでいきたいと思う。
Amazing 西安(Part 2)
4プロ野球の大谷選手がSports Illustratedにとりあげられてましたね。
一緒に旅行した韓国人も韓国のメディアに取り上げられていたニュースをみせてくれて、韓国でも話題になっているということでした。
今年大リーグに挑戦するのかどうか、とても楽しみですね。
旅行二日目
二日目は、「兵馬俑」に向かう。朝飯を適当に食べた後、出発。現地についた時には、昼飯時になっていたので、昼飯を食うことに。
なんとここで、ガイドが選択したのはケンタッキーフライドチキン(KFC)!!
しかしこのチョイスは、今から思うと最高のチョイスだった。なぜならこの昼飯以外に、振り返ると中華以外の料理を食べる機会がなかったからである。
一旦の口直しという意味でもなかなか良いチョイスだったと思う。
ちなみに中国のKFCでは、商品を注文する際に列に並ぶ必要がないのをご存知だろうか。
どういうことかというと、レジの横にある、QRコードをスキャンして、その場でネット上で注文、支払いも完了させてしまうので、後は、レジから商品が呼ばれるのをまつだけなのである。
レジで注文しているのは基本的に外国人くらいしかいない。
更にこれは、有名な話だが、中国ではKFCはマクドナルドよりも遥かに成功している。
店舗数は何と2倍以上。
中国に最初に来るとKFCの多さに違和感を覚える人もいるかもしれない。
KFCの成功の理由は色々と言われているが、徹底したローカライズが成功の秘訣だと言われている。
中国のKFCでは中国でしか食べられないようなメニューがたくさんあり、それらは日本でも、アメリカでもみることが出来ないようなものである。
筆者も中国のKFCの方が、日本のKFCより大分好きである。
KFCを堪能した後に 実際に兵馬俑をみに館内へ。はっきり言って西安ツアーの定番どころである。
違うのは、(同級生の)ガイドが我々の中国の歴史に対する好奇心を満たすために、本物のプロのガイドを雇ってくれたが、当然ながら中国語のガイドだったため、小生の中国語力では全く理解出来ず、(同級生の)ガイドに逐一解説をお願いした。
(中国人ツアーガイドの説明を受けている図↑)
(↑兵馬俑)
兵馬俑とは?
始皇帝陵から東へ1.5キロの地点に、世界八番目の不思議とも呼ばれる兵馬俑坑がある。1974年3月、かんばつに窮した地元農民が井戸を掘り始めたところ、二、三メートル掘ると変わった陶器の破片が見つかった。考古学者の鑑定により、ここに始皇帝の地下近衛軍団が配置されていることが初めてわかった。この偶然の発見によって、地下に二千年も眠っていた世界を驚愕させる兵馬俑がようやく日の目を見た。坑は発掘順序に基づき一合坑、二号坑、三号坑と名づけられた。
最大の一号坑は長さ230メートル、幅62メートル、深さ5メートル、総面積14260平方メートル、兵馬俑の数は約六千体、二号坑は6000平方メートル、俑の数は千体余り、三号坑は500平方メートル、俑の数は58体に過ぎず、規模が一番小さいが、地下軍の司令部に当たる。一号坑は今なお発掘を続けているが、中は土掘によって区切られ、上に丸木を掛け、その上にゴザを敷き、表は2メートルの土で覆われている。前衛部隊とその四方に立っている警備隊に守られ、主力軍は38列に分けられ、東に向かい整然と列を組んでいる。
兵隊俑の平均身長は180センチ、上半身は空洞だが下半身は空洞ではない。顔の表情はそれぞれ異なり、身分により服装もまちまちでだが、共通しているのは、いずれも手に武器を握っていることだ。一部の俑にはまだ色彩が残っている。馬の高さは1.5メートルで西域の大宛の馬に似て、足が速いと言われている。兵馬俑はこの場所の付近の粘土を材料にして、彫刻などの手法を施し、最後に窯に入れて焼いて作られた。殉死制度のあった時代に人間に代わって陶製の人形を殉死品とすることから、人類文明の進歩を窺うことができる。(AraChinaより引用)
中国の歴史を堪能した後、西安で有名なショーを見に行くということに。
移動している間に、中国人同級生が数人居なくなったと思ったら、大きい公園で踊っていた。
このような大きな公園では、皆思い思いの舞を行っており、基本的に勝手にジョインしても何も言われることはない。
軽い運動を経て、いざ西安のショーを見に。
内容は西安で有名な古代の逸話で、昔の王様が最愛の妻を政治的な判断から
泣く泣く殺さなければならなかったという話。
全く期待していなかったが、
屋外で、様々な演出が施されていておもったよりもずっと楽しむ事ができた!!